日本ボクシング界が谷口将隆によって救われた日
対戦相手の前日計量失敗にもかかわらず、なぜチャンピオンは試合を受けたのか?
4月22日、日本ボクシング界は谷口将隆(ワタナベ)によって救われた。
そう断言してもいいだろう。
王者・谷口に同級5位の石澤開(M.T)が挑戦するWBO世界ミニマム級タイトルマッチ。両者は2年前の9月に初対決。そのときは谷口が先制のダウンを許しながら、その後は手数とテクニックで逆に石澤を追い込み、逆転勝ちを収めている。
前回の内容が内容だっただけに、今回も試合が発表された時点で好勝負が期待できた。しかし、21日に行われた前日計量からこの世界タイトルマッチの歯車はどんどん狂っていく。最終的には試合当日の午後5時半にならないと、試合が行われるかどうかわからないという状況にまで追い込まれた。
いったい何が起こったのか。
ミニマム級のリミットは47.627kg以下。男子ボクシングの世界では最軽量のクラスだが、前日計量で石澤は2.5㎏もオーバーしてしまったのだ。正直、数百グラムまでなら許容範囲。しかしながら、2㎏以上のオーバーとなると洒落にならない。ましてや世界タイトルマッチである。最初の計量失敗から2時間という規定時間内にリミットまで落とすことは、どう考えても不可能に思えた。
石澤の再計量を待つ間、谷口はジム関係者に「2回目で(石澤が)1キロ落とさなければ試合はやらない」という希望を伝えたという。1キロ落としてもまだ1.5キロオーバーなのだから、それがチャンピオンとしてギリギリの妥協案だった。
しかしながら2時間後の再計量でも石澤は200グラムしか落とせなかった。この時点で2.3㎏オーバー。対照的に谷口は最初の計量でリミットまでしっかり落としている。
結局、決戦当日の17時半までに石澤の体重が50.6㎏以内であれば、試合は実施されることで話は落ち着いた。今回は世界4大王座認定組織のひとつ、WBO(世界ボクシング機構)の世界タイトルマッチ。ルールはWBOのルールに遵守しなければならない。他団体ならば、一方が体重を超過した場合には王者が敗れても王座はそのままだが、WBOは負ければ王座を失うというルールだ。
ちなみに渦中のJBC(日本ボクシングコミッション)管轄のタイトルマッチならば、最初の計量の時点で石澤は計量失格となる。<公式計量において、体重超過が契約体重の3%以上の場合 JBCルール第96条第2項に基づく猶予は与えない>
過去にも今回と似たようなケースはあった。例えば、2019年3月に日本で行われたWBC世界バンタム級タイトルマッチ。王者ルイス・ネリ(メキシコ)は計量でリミット(53.1キロ)を1.3キロもオーバーし、王座を剥奪された。ただ、挑戦者の元王者・山中慎介(帝拳)が勝てば王座復帰。一方、ネリが勝つか引き分けた場合には王座は空位という条件付きで、試合は予定通り実施された。
真剣勝負の世界は、ときとして悪魔が微笑む。体重差が影響したのか、山中は2ラウンドTKO負けを喫し現役を引退した。勝利を収めながら元王者となったネリはWBCから6カ月の資格停止処分を受けた。
日本人が王者で計量に失敗し、王座を剥奪されたケースもある。2018年4月、王者・比嘉大吾(当時、白井具志堅)のWBC世界フライ級王座防衛戦。1回目の計量で比嘉はリミットを900グラムもオーバー。再計量にトライすることも諦め、その場で世界戦では日本人選手としては初となる計量失敗による王座剥奪となった。
結局、クリストファー・ロサレス(ニカラグア)との一戦は実施されたが、比嘉は9RTKO負けを喫し、JBCからボクサーライセンスの無期限停止の処分を受けた(のちに処分は解除され、比嘉は復帰)。
世界王座の管理団体によってルールが異なる点もあることから、試合後にトラブルになったケースもある。2013年12月に行われたIBF世界スーパーフライ級王者・亀田大穀(亀田)とWBA同級王者リボリオ・ソリス(ベネズエラ)の世界統一戦。しかしソリスは体重超過で試合前にWBAから王座を剥奪された。
IBFサイドは試合前に亀田が勝てば王座統一、負ければどちらの王座も空位になると説明していた。しかし亀田が1-2で敗北を喫すると、IBFサイドは前言を撤回。亀田の王座は保持されると主張したため、世界王座の権威は失墜してしまった。
谷口VS石澤の場合、決戦当日の17時30分までに石澤が50.6キロまで落とすことに成功したため、試合は予定通り行なわれることになった。ボクシングは契約体重を合わせて行うスポーツ。大きなジムに所属していようと、弱小ジムに在籍していようと、体重を合わさなければならないという部分は平等だ。試合は計量によって両者ともクリアになった時点で初めて成り立つ。だからこそ一方が体重超過となり、規定時間内に落とせなかった時点で失格となるのが筋だろう。そうでないと、ボクシングとは呼べない。
しかしながらWBOは1988年にWBAから独立する形で発足した、主要4団体の中では最も歴史が浅い世界王座認定団体。他団体と差別化を計るために、挑戦者が体重超過の場合でも王者が負けたら王座は空位になるというルールを採用したのだろうか。
誰もが首を傾げたくなるようなルールの採用は大会プロモーターへの“保険”というべき歪んだものといわざるをえない。興行優先の論理が幅を効かせたのか。今回の場合、失態を侵したのは挑戦者であり、契約体重をリミットまで落した王者には全く非がない。にもかかわらず、谷口は試合前に予期せぬ事態に巻き込まれ、精神的に追い込まれてしまったのだから気の毒というしかない。
谷口が所属するワタナベジムにとっても、試合をやる・やらないは大きな賭けだった。もともと石澤は11戦10勝(9KO)という軽量級では驚異的に高いKO率を誇り、業界では“マイクロ・タイソン”というニックネームをつけられた強打者。実際に初対決で一度ダウンを奪われている。体重超過ともなれば、パンチ力は増すのでおのずと敗れるリスクは高まる。
その一方で良識派からは安全面を指摘する声もあった。とりわけ軽量級のボクシングは何十グラムの差で勝敗が決するといわれている。何キロも体重差があったうえでのマッチメークは「危険すぎる」というのだ。実際ボクシングの元世界王者からは「僕だったら、試合を受けない」という声も挙がっていた。
結果的にワタナベジムサイドは「試合をやる」という方向で意見を一致させた。試合はひかりTVで全試合完全生中継され、谷口の母校である龍谷大学ではパブリックビューイングが行われることも決まっていた。しかも、会場となった後楽園ホールは有観客で、超満員になることが予想されていた。
岐路に立たされた谷口からすれば、納得いかない部分もあったかもしれない。しかしながら世界戦ともなれば動くお金も大きいし、いつも以上にチーム一丸となって勝利に向かって疾走する。ここでチームの士気を乱したくなかったというのが本音だろうか。
試合は1Rから谷口が攻勢に出た。尻上がりに手数を増やし、石澤が出てきたところにボディストレートやストレートを合わせていく。2R、挑戦者の動きをよく見ながら、王者は重心を低く構え、カウンターの左をスマッシュヒットさせる。3Rこそ石澤の逆襲を許したが、4Rからはボディに集中砲火。試合の流れを再びたぐり寄せる。
その後もセコンドからの「集中だよ、谷口!!」を背に、谷口はボディへのアッパーやフックで挑戦者を追い込んだ。白眉は前日計量から精神的にあまりにも乱されることが多かったにもかかわらず、全く気持ちの揺れが見られなかった点だろう。谷口は、いつも通り冷静沈着に試合を運んでいた。想像を絶するメンタルの強さではないか。
熱戦の終止符は11Rに打たれた。1分40秒過ぎ、左ボディアッパーで石澤の足を止め、ここぞとばかりに連打を浴びせる。倒れこそしなかったが、挑戦者は防戦一方だ。貝になるしかなかった。2分29秒、レフェリーはついに試合を止めた。
もし王者が敗れるようなことになれば、この一戦は世間から思い切り叩かれていただろう。勝敗も重要ながら、その後の余波も気にしなければならない世界戦だった。
ヒーローインタビューで勝者は敗者を讃えた。「これからの彼(石澤)を見ていただけたらと思います。プロボクサーとして失敗はダメだけど、失敗から何か(学ぶもの)があると思う」
強いだけではない。相手をいたわる気持ちがあるからこそ真のチャンピオンか。一方の石澤は引退を示唆した。ボクシングが奏でるドラマの結末は誰にもわからない。